
日本の国土のうち、居住地として使われているのは、わずか2.8%、しかも「分譲地」として開発されたにもかかわらず、その後「休眠」したまま現在まで見捨てられている土地が、全国で5万カ所もあることをご存じですか?
1972年、田中角栄元首相が発表した『日本列島改造論』に刺激され、にわかに土地投機ブームが起こります。多くの不動産会社が「分譲地」開発に着手しますが、73年に起きたオイル・ショックのため、ブームも束の間、日本は大不況時代に突入します。多くの不動産会社が倒産を余儀なくされ、その結果、未整備だった土地がそのまま放置されて、今日まで休眠しているというわけです。
70年代の半ばから、土地所有者たちがなんとか休眠する土地を生き返らせようと動き出しますが、それを阻んだのは行政サイドの消極的な対応でした。
1985年に起業した上野健一(当時24歳)に、兵庫県小野市の小野平住宅地所有者から「なんとか住めるようにできないものか」という依頼がきます。そこは700区画が開発されてから15年も経つのに、たった4人しか住んでいないという典型的な「休眠分譲地」でした。市営水道もなく、道路も土地も荒れ放題で、それゆえに住むに住めず、売るに売れない状態……。その理由は開発会社が倒産したことに加え、土地所有者のほとんどが不在地主だったからです。
再整備を推進するためには、
「まずは自分自身で経験してみなければ」と思い、
小野平住宅地に後方の家を建てた
(当時の上野自宅の前で、2007年7月撮影)
上野は小野平自治会事務局長の任を受け、休眠分譲地を再生する方法を模索し始めます。まずは、従来の自治会を「自治管理組合」と名称変更して、1.売却可能な土地に、2.資産価値のある土地に、 3.建築可能な永住地に、という3段階の目標を立てました(下図参照)。
そして、不在地主を全国に訪ね歩き、自治管理組合への参加を呼びかけます。1986年、自治管理組合第1回総会が開かれると、地権者の7割、約470人が神戸国際会議場に集まってくれました。
次の最大の課題は「水道」です。陳情先の行政は、住民との相互負担が原則だと主張して譲りません。つまり、「受益者負担の原則」に基づき、施設工事費の一部を住民が負担することによって初めて導入を検討するというのです。さらに、「上水道を給水すれば下水が出るから、まずは下水道を造れ」とも言われ、二重苦の追い討ちをかけられました。
しかし、各組合員が応分の額を負担することによって、多くの困難を乗り越え、最終的には上下水道を導入することに成功したのです。このとき、「受益者負担の原則」に基づき「土地所有者が共益施設を自ら整備すれば、行政側も動かざるをえない」ことを身をもって知りました。こうして「あきらめていた土地」を蘇らせることができたのです。そればかりか、実質ゼロ価格だった土地が、いまや10倍近くにも上昇しています。
私たちはこのときの体験から得た「休眠分譲地の再生システム」を「CCZ
(Creative Capital Zone =自分たちの住む街を・自分たちで創造し・理想的な街をつくろう)プロジェクト」と名づけました(右図参照)。そして、このシステムを全国的にも適用させるべく、以降、新たな挑戦を開始します。