
分譲地内の組合員用テニスコート。
鷲ヶ岳高原ゴルフ倶楽部
全管連が手がけるログハウスタウンは、標高900メートル、「飛騨の軽井沢」とも呼ばれる高原の一角にもあります。岐阜県郡上市高鷲町の、ひるがの明野高原「白樺台」です。ここでは、2002年(平成14年)、全管連傘下の各自治管理組合からログハウスのオーナー500人あまりが集まり、その楽しみ方や工夫などを競う「ログハウス・オリンピック」が開かれました。
明野高原「白樺台」に立ち並ぶログハウスの中に、高田さんの家もあります。それは、3年前に高田さんが自らの手で建てたログハウスです。
「どうやら形にはなっていますが、いまだに建築中で、未完成なんですよ」
と、笑う高田さん。
「これから取りかかるのは、煙突を壁から出して、薪ストーブが焚けるようにする作業です」
近くでは建設中の槌音も響く
手入れが行き届いた自家菜園
高田さんが自分で建てた定年退職後、毎年キャンピングカーで北海道などを巡っていた高田さんは、旅で見たログハウスに魅せられました。そしてまったく未経験でしたが、ログハウスを自分の手で建ててみようと決心したそうです。まずは土地を、暮らしていた名古屋からあまり離れておらず、気候が北海道の道北に似ていると感じたこの地に求めました。さらに、
ログハウスを手造りするグループに入ります。
「メンバーがほかのメンバーの棟上げなど、人手の要る作業をお互いに手伝い、助け合うのです。でも、そこから先の間仕切り、窓の取り付け、内装などは全部自分でやらなければなりませんでした。定年になる60歳前後にログハウスの手造りを試みる人はいるけれど、70歳の声を聞いてから始める人は珍しい、と言われました」
ところが、自分のログハウス造りに取りかかろうとした矢先、高田さんは不慮の事故で大腿骨を圧迫骨折し、全治4カ月の重傷。医者から治癒後も足に障害が残ると告げられました。しかし、それでも高田さんは杖をつきながら、壁や柱などの材料を発注しに行ったのです。
「いまでは正座もできるようになりました。結局、この家を造るときのさまざまな力仕事が、リハビリになったのです。私がふつうの日常生活へ戻れたのは、このログハウスを建てたからだと思います」
建物の前のウッドデッキに
道路からのエントランスに
冬期の全管連除雪用---ご主人が「ログハウスを建てるぞ」とおっしゃったとき、奥さんはどう感じましたか?
「これで、別居生活になるわね、と(笑)。でも、主人に狭心症が見つかり、一人でログハウス造りをしていたら死んじゃうぞ、と医者から言われたので、あきらめて(笑)ついてきました。まあ、好きなようにさせています」
と、言いながらも、奥さんご自身もどこか楽しそうです。
ログハウスの1階は、さまざまな工具が置かれた工房になっています。階上で使われているキッチン・カウンター、ベッド、食器棚などは、すべてここから生まれました。この工房は、今後も暮らしのために活躍し続けるでしょう。子供たちが独立し、長年の仕事を退職した高田さん夫妻は、愛犬とともに、この地でまさに夢のかたち=手造りログハウスの現在進行形を暮らしているのです。
名古屋から車で約1時間半。ゴルフ場やスキー場、キャンプ場などに隣接するひるがの明野高原「白樺台」では、春夏秋冬、オールシーズンのアウトドア・レジャーだけではなく、ハッピーリタイアメント・ライフそのものを楽しむ人たちがいます。
社会や家庭での役割を終え、自らのために第2の人生を歩み始めた数多くの方々を、全管連はお手伝いしています。