小野サンシティうぐいす台(小野平住宅地)

休眠分譲地の再生は23年前にここから始まった
10年ぶりに再開した岡上寛初代会長と上野健一全管連社長
蘇った約700 区画の分譲地で、マイホームの夢が
叶えられる 蘇った約700 区画の分譲地で、マイホームの夢が
叶えられる
市営水道が接続されるまで
活躍した浄水施設 市営水道が接続されるまで
活躍した浄水施設
週2回、小野市の福祉バスが運行されてい 週2回、小野市の福祉
バスが運行されている

兵庫県東播磨地方は、緑に包まれたなだらかな丘陵地帯が続きます。その丘の一角に広がる小野サンシティうぐいす台が、全管連の事業の出発点です。

ここはかつて小野平住宅地と呼ばれ、1970年(昭和45年)に開発、分譲が始まりました。しかし1973年、第四次中東戦争が勃発すると、日本への原油供給が制限され、いわゆるオイル・ショックが起きます。その影響で日本経済の高度成長は終わり、小野平住宅地を開発、分譲した会社も倒産したのです。

それから十数年、小野平住宅地には上下水道も引かれず、道路も荒れ放題。住み始めた4軒ほどの居住者は自宅に掘った井戸で暮らさなければなりませんでした。そんな状態に耐えかねた住民たちは、1985年、不在の地権者にも呼びかけ、のちの自治管理組合につながる「小野平再開発自治会」を結成します。その事務局長を務めたのが、休眠分譲地の再開発・再整備を試みていた上野健一(現全管連社長)でした。

緑豊かな住宅地に
再整備により、かつての荒れ地緑豊かな住宅地に 再整備により、かつての荒れ地が
緑豊かな住宅地に

当時の自治会長・岡上さんは、こう振り返ります。

「投資目的で土地を買った地権者も多く、送った書類が宛先不明で返ってくることもよくありました。最初、本気でなんとかしようと考えていた不在地権者は、あまりいなかったようです。でも、上野社長の熱意もあって、86年6月には地権者の約7割を集め、神戸国際会議場で自治会総会を開くことができました」。こうして、小野平住宅地の再整備が、上野たちに委ねられたのです。

「いちばん困っていたのは水でした。自分で掘った井戸の水量が少なくて、飲み水や炊事には使えても、とても風呂までは回らなかったのです。妻は子供たちを連れて、丘を下りバスで町の銭湯へ通っていました」

小野平住宅地は上水道の給水区域外だったので、再整備はまず下水道の配管から始まりました。しかし、分譲地外の末端排水工事まで済ませても、小野市は市営水道の敷設を認めません。そこで、1987年(昭和62年)、分譲地内に新たな共同井戸が掘られ、私設の浄水場が完成しました。それでも、渇水時には自治会の事務局職員(現全管連の社員)が市から水を買い、タンクローリーで、各居住者に水を補給して回ることもしばしばあった、といいます。

小野平住宅地の再整備が完成するのは、1997年(平成9年)9月27日です。この日、自治会の粘り強い交渉の結果、ようやく市営水道が分譲地内の配管に接続されたのでした。通水を祝う会場には、長年小野平に水を運び続けてきたタンクローリーが横付けされ、そのタンクには、水ではなく清酒が入っていました。

小野平住宅地は、いま、200軒近くの住宅が建つ小野サンシティうぐいす台と名を変え、住民の多くが車で40分ほどの神戸市や姫路市などへ通勤する、ベッドタウンになりました。

ここに暮らし、娘たちを嫁がせ、4年前にリタイアした岡上さんはこう語ります。

「本当に感謝しています。上野社長たちの後押しがあったから、私たちもヤル気になったのです。何十年か経って、自治会の最初の役員たちが頑張ってくれたからよい街になった、と言ってもらえれば、満足です」

住民による街づくりを提案し、応援し、実現する全管連の事業のルーツが、ここにあります。

小野サンシティうぐいす台は、姫路、神戸への通勤圏